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食べること、それこそが命の源
鷲見雄一(2012.4.11)
食べ物に対する思いは人によってずいぶんと違う。とりあえず腹を満たしておこうという
人もいれば、買い物に行くのが面倒だから、買ってあるドックフードでも食べてみようとい
う人までいる。実際にお笑い芸人の中には、キャッツフードを食べてみて、けっこう美味だ
ったと告白した人もいる。彼らにしてみれば、食べることは単に死なずにすむ便法に過ぎな
い。筆者も若い頃、遊びに夢中になっていて、どうして腹が空いたり眠くなったりするのだ
ろうと嘆いたことを思い出す。今になってみれば、懐かしいことである。
世間に名の通っている一流の料亭で出される料理しか食べないと、得意げに言う人がいる
が、それは彼が「大海を知らぬ蛙」だということでしかない。そこの料理の味の良し悪しは、
他店の料理と比較して初めて分かることだからである。かなり前になるが、関西の有名な料
亭で食材の使い回しをしていたことが発覚したことがある。そんなことをやっていた料亭の
料理を絶賛していた人たちの舌は、はたして正常だったと言えるたろうか?
テレビのバラエティ番組で、大食いを売り物にしている女性が、出てくる料理を次から次
へと平らげていくのを見たが、決して味わっているようには見えなかった。料理をした人を
気の毒に思うほど、彼女の食べ方には品がなく、食べ物は単に口の中に押し込むモノでしか
なかった。論語に「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、食べるにも礼節がなけれ
ばなるまい。飽食の時代と言われて久しいが、だからと言って、食べ物を遊びの材料にする
については、いまだに少しばかり抵抗を感じてならない。
食べ物はやはり、作った人の苦労を思いやりながら、ゆっくりと味わって口にするのが正
道のような気がする。同時に、僧侶や料理人の中には、自分の命のために命を捨ててくれた
食材に対する感謝の気持ちを持つべきだと言う人もいる。そうした感謝の念は、バカ食いす
る人たちや食べることを遊びにしてしまう人たちには無縁のものでしかない。
人間の生活に必要なものとして「衣食住」が挙げられているが、この中で一番重要なのは
なんと言っても「食」だろう。最悪の場合、落ちていた新聞紙を躯に巻きつけても、公園の
トイレで寝起きしても命に別条はない。が、食わなければ確実に死ぬ。となれば、食べるこ
とに、もっと真剣に向き合うことが必要である。