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目に余るNHK番組の低俗化

山崎義雄(2011.12.27)

 日経新聞一面の春秋℃≠ェNHKを厳しく批判した(12月14日付)。「朝の情報番組か
ら際どいテーマの大特集だ。ある日の夕方は若者の性交渉事情を追っていた。夜には赤裸々
な描写が話題の連続ドラマである。」「なにもNHKがこう奔放にならなくてもいい。受信料
で運営する公共放送ならほかにやることがあるだろう」「優等生がヘンに羽目をはずして加
減がわからない。そんな様子も垣間見える」etc。
 まったくNHKの悪乗りは目に余るが、それは近ごろ始まったことではない。私もかねて
からそれを指摘してきた。そうした一文に、5年前にネットで発表した「近ごろテレビ不愉
快論・1」がある。(2005/2)。いま読み返しても古くなっていないようなので、ここに再
録してみたい。
 『近ごろと限ったことではないが、気になる、不愉快な、ハラが立つ、見たくない、見せ
たくないテレビ番組が増えている。とくにNHKの「低俗化」が進み、どこが公共放送たる
ところなのか聞きたいほどに民放との判別がつかなくなっている。
 近ごろのNHKには、相次ぐ不祥事を乗り越えて経営改革に取り組んでいるという緊張感
が感じられない。番組の内容はまったく民放各社と変わりなく、お笑いタレントやらミュー
ジシャンを集めた番組や、バラエティ番組が増えている。
 また歴史ものや自然ものなど、自局制作番組の再放送が増えている。「アーカイブス」や
日曜日の大河ドラマの土曜日再放送ならまだいいが、作り立ての作品を日を置かず繰り返え
して放送するのは目に余る。カネも使わずヒトも使わず楽をして放送時間帯を埋めているの
ではないか。
 ついでに言えば、以前のNHKアナウンサーは、正当な日本語を使い、安定した音程と速
度で話したものだが、近ごろは、民放並みに声が甲高かったり語り口が雑で早口でうるさい
アナが増えている。とりわけ女性アナにその傾向が強い。
 コマーシャルがないところが民放と違うというのでは洒落にもならない。いつのころから
かNHKは民放のコマーシャルに負けないくらい自局番組の宣伝をやるようになった。こち
らも再放送同様に時間つぶしのきらいがあり目に余るものがある。私も口座振替で受信料を
払っているが、受信料を払った上でしつこい番組宣伝を見せられるのはかなわない。
 これはNHKに限らないが、大人として親として恥ずかしいような大人社会の不祥事や、
幼い子供には見せたくない悲惨な事件を一日中漫然と繰り返し放映したり、ワイドショー化
して報道するのも情ない。
 せめて公共放送たるNHKはニュースの価値や社会的な影響を判断して、ニュースの取り
上げ方や報道の仕方を考えるべきではないか。これは報道の自由だとか、知る権利だとか理
屈をこねるレベルの話ではない。常識・良識の問題だ。』

 かくしてNHKの悪乗りは年々度を増している。視聴者が厳しい声を上げなければNHK
の低俗化は病膏肓に入るおそれがある。

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