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加齢と「知・情・意」(後篇)

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山崎義雄

(初出 2005.8 正再録2011.10)

 先に、「加齢と知・情・意」という話を書いた。加齢によって知情意のそれぞれが薄れ
ていき、バランスが崩れていく。加齢の果て、死に向かう時、どれかが残って強く主張す
るのではなく、等しく弱まり、消えていくことが望ましい、といった話である。
 読んでくれた人からいろいろ反応を聞かされた。老母の世話をしながら似たようなこと
を考えていたので興味深く読んだとか、最後まで「情」が残っているのが、幸せではない
かとか、あるいは知情意の重要度から言えば「情意知」だ、など-。
 中に、「知情意」についてもう少し説明があったほうが分かりやすいのではないか、と
いう意見があった。そこで遅まきながらその辺について続編-を。
 講談社の日本語大辞典によると、「知情意」とは、「知性と感情と意志。人間の精神活
動の基本となる三つの働き」とある。
 さらに「知性」とは、考える力。認識・判断・推理などの知的な働きを営む性質・能力。
「感情」とは、物事に触れて生じる心の状態。喜怒哀楽・快不快など。「意志」とは、考
え。こころざし。物事を進んでしようとする心の動き、などとある。
 なお、知性、感情、意志には、それぞれ思想、哲学、医学、心理学など多方面にわたり
古典から現代におよぶ研究の系譜がある。
 思うに、その「知情意」は、人間の精神活動の根幹を為すものとして密接に関連しなが
ら、必要に応じて発現するものと制御するものの役割を分担し交替し、バランスをとって
いるのではないかと考えられる。そう考えるところから私流の「加齢と知情意」の話が湧
いてくるのである。
 知情意、いずれにもプラス面とマイナス面、光と影がある。知性には誤認や邪推などの
影があり、感情には強情・敵意など、意志には悪意や欲得などの影がある。そうした影の
部分が発生・発現する時、他の光の部分が制御に向かうのではないか。そう考えると、加
齢によって知情意の劣化が進む時、どれかひとつだけ生き残って執着し、主張することの
悲劇が思われ、その悲劇を回避できるなら幸せだと思われるのである。